虹の橋

俺の酒のこと言わんかいが好きなオタクの日記

わたしの背骨

 

自分日記に始めたのに毎日に夢中で必死で精一杯で気がつけば2021年でした。

明けましておめでとうございます(鬼遅)

 

色々と一旦置いておいて。

今日は読書感想文を書こうと思います(懐かしい)いや別に感想ってほどでもないか。

(追記:書き終えて読み返すと感想でもなんでもない、オタクのクソ長独り言だった。お時間ある方はお付き合いください。)

 

推し、燃ゆ/宇佐見りん

「推しが燃えた。」「推しは命にかかわるからね」──SNS大激震、掲載誌完売店続出、宇佐見りん『推し、燃ゆ』単行本刊行直前 大量試し読み40ページ分無料公開!|Web河出

 

注:ネタバレはありません。いくつか引用したり内容を説明しますがネットで公開されている部分のみしか使用しないので悪しからず。

 

恥ずかしながら。私は読書をあんまりしない。ただ文章読むのが遅くて苦手なんだろうな。あー恥ずかしい。もっともっと小さい頃から読んでいれば語彙力の乏しい人間から少し脱出できたのかなと思うと惜しいことしたな。だから文学的な凄さとかそんな難しいことは分からない。ただそんなわたしが、本の流動に鈍感なわたしが、何故読むことになったのか。

 

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい

 

逃避でも依存でもない

推しは私の背骨だ 

 

たまたま目にした、そこに並ぶ言葉に。読みたいというか読まなきゃいけない気がした。呼ばれた気がして本をお迎えし胸をぎゅっっと押さえながら気がつけばあっという間に最後のページをめくっていた。

 

 

タイトルの通り「推し」の話。

この物語に"わかる"と思う人もいれば"わからない"人もいる、"分かりたくない"人もいるし、"知りたい"人もいるだろう。フィクションでもあると同時にノンフィクションでもあると感じた。"あかり"という一人の女の子、一人のオタクの物語。"あかり"の行動が正解でもなければ間違いでもない。善でもないし悪でもない。ただそこに存在する"一人のオタク"の話。話題になり注目を浴び、読む人が増えることは素敵なことだけど。これを読んだ「オタク」が自分を責めたり、自信を失ったり、誰かを責めたりしないでほしい。これを読んだ「オタクではない人」が「オタク」の概念をこの型たった一つにはめ込まないでほしい。一つとして"絶対"は無いということを、忘れずにこの一冊を楽しめると優しい世界に住める気がする。

わたしには"わかる"が多くて、考えるいいきっかけになった。

 

「オタク」=「推しがいる」

みたいな解釈が一番分かりやすく最初に頭に浮かぶのかもしれないけど、熱中して"好き"を楽しむこと、共に過ごし"癒す"こと、みたいに自ら自分のために自分の時間を作る。その対象が人であろうが物であろうが。存在しようが存在しまいが。そういう対象がある人たちを「オタク」と呼ぶとわたしは思ってるので。

変わらない毎日を生きていく、長いようで短い自分の人生の中で"生きる力"を得る時間を持つ全ての人に存在する出来事なのかもしれない。

 

と、読み終えた後に思った。

 

生々しくて痛々しい、もどかしさを感じずにはいられない。オタクであることを抜きにしても上手く生活ができない"あかり"が一生懸命生きられたのはやっぱり「推し」がいたからであろう。一方で上手く生きられない原因を作ったのも「推し」なのであろう。彼女の生きる日々に目を離せなくなる、物語のあとの彼女はどんな風に生きていったのか考えてしまった。

 

 

わたしの推しも燃えた。

わたしは嵐の二宮和也くんを応援しています。

殆どの人がご存知であろう。彼は燃えた。

罪を犯したわけではない、ただ一人の人として"結婚"という選択の一つをとった。ただそれだけ。それだけ、なんだけど。燃えた。

それは彼がアイドルであるから?相手が好ましくないから?タイミングが疑問だったから?

 

アイドルとしての彼もだいすきだが、人として、二宮和也という人を愛するわたしにとって。"燃えた推し"を応援する日々は苦しみがあまりに大きかった。

 

私は何でもかんでもポンポン理解できるほど物分かりのいいオタクではない。言わば、面倒くさい厄介オタクだ。よく言われるお花畑オタク要素が少しは欲しかったなと自分を恨む日も少なくはない。

そんな私なので。確かに"結婚"という出来事にダメージは喰らった。かなり。いろんな疑問とか寂しさとか。それはまぁ色々。が、それはそれ。そりゃ仕方ない。本気で応援してるんですもの。

 

 

地上=Twitterはまさに炎上状態

消化できる範疇を優に超えて火はどんどんと燃え広がった。この時わたしは、まだ知らない。鎮火される日がそう簡単にこないことを。

 

感情をぶちまける人達の気持ちが分からないこともない。分からないこともないが、傷つけようとは一度も思わなかった。何か理由があるのかもしれない、一概に全てを否定をするべきなのか、怒るべきなのか、擁護するべきなのか、分からなかった。

 

ただ、わからないなりに、それが鳩尾を圧迫する感覚は鮮やかに把握できた。これからも推し続けることだけが決まっていた。

 

"あかり"と同じように。

ただ、それでも私はこの人がこれからも「推し」であるということだけが分かっていた。

"好きだなぁ"って泣きながら眠りについた。

 

↑ここ以降だらだらと思いつくままに"わたし"が過ごしてきた日々を書いていたんだけど。要らないな。辿ってきた過去は自分だけがちゃんと自分の歩んできた道として悔しさに糧に勇気に変えてるので、思いっきり割愛します(見て頂くにはあまりに重かったからやめたのは小声)

 

"なんで好きなの"と不思議そうに姉に顔を向けられた"あかり"はこう言った

 

愚問だった。理由なんてあるはずがない。存在が好きだから、顔、踊り、歌、口調、性格、身のこなし、推しにまつわる諸々が好きになってくる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆だ。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。そういうもんだと思う。

 

熱愛、結婚、嵐の活動休止。オタクとしてはかなり威力のある3大イベント(イベントではない)を一緒に歩んできた私は、よく言われた。特に私は嵐推しであり二宮くん推しであり櫻井翔くん推しである。自担が2人いることもあって、ねぇ結局○○はどっちが本当に好きなの?とか結婚を機によく○○はこんな状態でも好きでいられるね、なんで好きなの?推し変えようとか思わないの?とか。悪意のない綺麗に磨がれた刃でぶっ刺されることは少なくなかった。

 

その度に何度も何度も考えるけど。

愚問だった。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまで愛おしくなってくる。まさにそれだった。好きなところは山ほどある。挙げればキリがないほど。確かにそれも理由の一つ一つだけど。もうそれだけではない。時々みえるほつれを大事に大事に守りたくなるほど。ただ"好き"だとそれだけが明確に言えた。

 

 

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

 

この2年何度わたしは人間としてやるべきことを疎かにしたのか。うまく生きられない、人に優しくなれない、涙がとまらない、笑えない、泣けない。噛み合ってないままの歯車で進む日々に、そんな自分にまた嫌気がさしたりなんかして。生きてるのか死んでるのかも分からないような日々。

それでもそこから私を救いあげてくれるのはいつだって二宮くん、翔くん、嵐だった。

あぁ、わたしの真ん中だ。長い時間かけてわたしの中で根を張ったわたしが前を見るために必要不可欠な背骨だと思った。

 

ただそれを確信したと同時に私にはやるべきことがあると思った。

 

みんなはみんなの人生があるから、頑張んなきゃいけないんだよ。いろんなことをこの先も自分で決断していくんだよ。

 

二宮くんはいつだって冷静で現実的。自分たち(アイドル)という存在に全てを預けることを無責任にお勧めなんてしない。たとえ、二宮くんが、嵐がわたしの真ん中であろうと、背骨であろうと。私にはわたしの人生がある。二宮くんには二宮くんの人生がある。無数の言葉と情報に囲まれて生きる中でどんな形どんな選択が正しいかなんてもはや存在しない。だったら、せめて私は自分の道を自分で選んで、決断して進む。これは二宮くんから貰った大切なヒントだと思った。私はわたしの時間で生きる。

 

二宮くんの言葉は一見、突き放すような言葉に聞こえるかもしれない。でもそんなことない。

 

寂しくさせるつもりはない

 

彼が放つ、大袈裟にも多いとは言えない言葉のなかに存在する一定の距離と無償の愛情にわたしはまた生かされる。

 

 

嵐がお休みして1ヶ月半

意外とけろっと生きてるね、よかったよかった、嵐いないと死ぬとか言ってたけど大丈夫そうだね。とか言われるけどその度に微笑みながら心で泣く。

確かに、意外と生きてる。 

でも、嵐のおかげだよ。これも全部。

2年というこの時間がどれだけわたしの背骨を強くしてくれたのか終わってみて気が付く。

推しがいない世界で生きていけるもんか!!!って思ってたけど。目の前に居なくたって、確かにわたしの中に存在する。口にするつもりはないが、あの日わたしはある想いを持ち続けることを決めた。

それでも、まだまだわたしは弱い。あっという間に溺れてしまう。おやすみ直後はネットを絶って自分の気持ちと嵐の想いだけで暫く過ごしたし。嵐にもらった贈り物大切に愛でて一生懸命生きてる。濃厚な時間を過ごしてきたなかでわたしは"あなた"の言葉しか信じない強さを少し手に入れたから。きっと大丈夫だと思える。

 

新しいバラエティも全部見てるし音楽も毎日聞いてるし、過去のバラエティだって見られる。でも、実は。2020年12月31日を最後に、嵐が歌って踊る映像は未だに一度も見ていない。

というか見られない。ただ、急かすつもりもなければ悪いことだとも思っていないので。今のわたしに最適な方法で今日も推し続ける。(でもvoyageが迫ってきてそろそろ覚悟を決めなければいけない…)

 

 

病めるときも健やかなるときも推しを推す

 

寂しさや悔しさや怒り、不安、疑問。

勝手に好き放題生んでしまうわたしのような厄介なオタクはやっぱり"推し"の言葉でしか解決できないんだなと実感する。年が明けてから過去の雑誌、インタビューを読み漁る日々を過ごしている。変わらないなぁと思うことも有れば、おっここからここまでの間に考えが変わってる!なんていう発見もある。長く二宮くんを愛してきたが小さな体小さな頭では吸収しれきなかった二宮くんの一つ一つを集めていくことが今は楽しい。そして解釈がまた強固になる。強固になればなるほど、二宮くんの選択が進む道がどれも愛おしく感じる。しあわせであるといいなぁと強く願う。一生"本当"なんて掴めないし分からなくていい。

それでもいつだって二宮くんに近く在りたい。

わたしにとって二宮くんは"そば"に居てほしい人では無くて。"そこ"に居てほしい人。変わらずに"ここにいるよ"と貴方が言ってくれるその優しさが続く限り、わたしは貴方に会いにいく。

 

 

"あかり"も"わたし"も"あなた"も。

オタクってきっと紙一重。愛情なのか執着なのか、崇拝なのか、尊敬なのか。きっとどこかの誰かがみる"わたし"は囚われた身なのかもしれないが。愛したい"誰か"がいることは間違いなく人生に色を足してくれる。

 

ただわたしの愛する対象は"人"である

いつだって"人"から自由を奪うのは"人"だ

 

アイドルである彼を一生見ていたいと願うのに二宮和也としての人生を過ごしてほしいと願う。いつの間にか自分の欲やエゴが先走り見失う。誰かが作り上げた人像に想像を積み重ね不安やズレを自ら生み出す。

 

オタクなんて矛盾だらけ。わたしなんて綺麗な感情だけでは上手く生きられない。

だからこそ、忘れないでいたい。"人"を愛しているということを。

 

オタクとしては勿論簡単に言い表しきれないほどの気持ちがあるが。

人として二宮くんが"結婚"を選んだこと、大野くんが"休む"を選んだことを私は嬉しく思う。これからも二宮くん、翔くん、大野くん、潤くん、あいばくんがどんな時も自由に選んで歩める道が途切れないことをわたしは願ってやまない。

 

推しに襲いかかる悲しみは1つでも1ミリでも少なくあってほしい。できることならこれからも"推しが燃える"自体は起きないでほしい。

 

ただ、

私の推しは燃えても美しかった。

私の推しは燃えても私の推しだった。

未来永劫、私の愛する人は彼だと確信した。

 

"あかり"もきっと大丈夫。

愛した時間が

これからの貴方を生かしてくれる。背骨になった推しはこれからも貴方の真ん中に。

 

 

(二宮くんパズドラCM引き継ぎおめでとう!!!!!!久しぶりの短髪流石に短すぎておぼっちゃまかと思いましたよ!!カワイイネ!!!!翔くん最近はスーツ姿しか見られないけどそれでも溢れてしまった貴方の不器用さにスキスキスキが止まらない!!あいばくんとんでもなく忙しいのに更に忙しさを加速させてますね。ご無理はなさらず。トイプー髪スーパーウルトラかっこいい!!潤くん大河に映画におやすみするのかと思わせといてとんでもないプレゼント抱えてお顔見せてくれてありがとう!!!おめでとう!!!!大野くん元気にしてますか?はやくコロナが収まっていろんなところに行ける日がくるといいですね!!)